できたてガパオライス

ゆすらの日常。毒にも薬にもならないことばたち。

自我と予防線

2024年1月2日(火)

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 自衛のために情報を遮断することも、苦しみの追体験やフラッシュバックで安全圏で苦しむことも、全部ぜんぶ身勝手な行為に思える。地震も自分も、非常事態に見える他人の悪意も、いろいろなことが嫌になる。募金したという事実で、私は自分の身勝手さを許されようとしているんだろうか。己の浅ましさに嫌気がさす。

 警告もニュースも、怖くていまだに泣いてしまうし、「東日本大震災を思い出してください」という言葉にも、必要以上の記憶が呼び起こされてしまって苦しい。今怖いのは、苦しいのは私じゃないし、安全圏にいる私はそんなことよりもっと他に、自分にできる支援を行うべきなのに。

 被災者だった時は、他の地域の人が追体験で苦しむ必要はないと思っていたし、翌年以降の3月11日を笑顔で過ごすことも、誕生日の人を祝うことも全然不謹慎なんかじゃないと思っていた。津波で実家を流された親友も、自分たちが悲しい思いをした分、2012年以降のこの日はみんな笑顔で過ごしてほしいって言っていたのを覚えている。だけどこうして自分が安全圏にいると、何をするのが正解かわからなくなる。何をもって「正解」だなんて言っているのかもわからないけれど。一体私は誰に許されたくてこんなに苦しくなっているんだろう。

 誰にも嫌われたくないから、こんな文章、読まないでほしい。でも読んで気づいてほしい気持ちがあるから、こんなところに書き記してしまう。自我と予防線のいたちごっこだ。3年前のブログに記したこの思いだけが、きっと確かな本心だ。

やさしさや慈愛とは程遠い、身勝手な自我から、もう世界のどこででも地震が起こってほしくないと真剣に願っている。

トラウマのふりした自我に気づいてしまった - できたてガパオライス