できたてガパオライス

ゆすらの日常。毒にも薬にもならないことばたち。

30s

 30歳になりました。


 当日はからっと晴れて、誕生日が大好きな私は朝からそわそわした1日だったけれど、みんながお祝いしてくれる以外は普段と大きく変わらない1日だった。職場のみなさんがお祝いしてくれると言うので朝から出勤。誕生日は毎年年休をとっていたので、なんだかんだ当日に働くのは社会人1年目ぶりだった。


 前日に実家の姉からプレゼントが、日付が変わる頃に母からLINEが、朝には父からLINEが届き、それぞれに誕生日を祝ってくれた。特段険悪ではないけれど人並みに思うところはあり決して一筋縄ではいかない関係の構築、それでもそれを絶ってしまうことがないのも家族だからで、ここまで育ててくれてありがとうと返したLINEは紛れもなく本心だ。昨年、両親の誕生日祝いで家族にご飯をご馳走したらとても喜ばれたことを思い出す。4人分合計しても東京でひと晩の飲み会に私が使ってしまう金額くらいだったのだけれど、贅沢をあまりしない家族にとっては(あるいは私がご馳走したからなのか)相当喜ばしかったらしく、その晩父がずっとおいしかったなあ、おいしかったなあと繰り返していたのが印象的だった。家族の中で末っ子というこれからも変わらないポジション、私が30になってもそれは私を庇護と寵愛の対象たらしめているらしかった。


 20代の後半頃から、30代という仕切りにだいぶんナーバスになっていた。歳を重ねることをポジティブにとらえたかったし実際素敵な30代40代の知り合いも見ているけれど、加齢により失うものがあることも確かで、私はそれがずっと嫌だった。同い年の友人たちより先に突入するのも嫌で、「30代を華々しく迎えるためにパーティーしよう!」と方々で友人たちを誘っていたくらいだ。


 だけどいざ30歳になってみた今、特別大きな喪失感も絶望もない。当たり前と言えば当たり前なのだけれど。コロナウイルスや多すぎる残業がなければもっといろいろなことができたろうにとは思うものの、それなりにしっかり楽しんだ20代、今のところ悔いはない。過去ばかり振り返っているとまた10年後、40代に入る頃の私が不安がりそうなので、とりあえず30代を存分に楽しもうと思う。


 それはそうとしてパーティーは盛大にやりたい。同い年のみなさま一緒にやろうね。

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LAST 5 days

 今の街に越してきて5か月、ようやくこれから通おうと思える美容院を見つけることができた。決め手はいくつかあるのだけれど、担当してくれた美容師さんの返事が「オッケーです!」だったのがそのうちの一つだ。長いこと通い慣れた院でよしなにやってもらっていたので、ここに来て自分の希望を伝える難しさに直面した。あらかじめ用意していた内容をたどたどしく伝えて「オッケーです!それでいきましょう!」と返ってきた時、ここに通おうと思ったのだった。

 

 髪を明るく染めている人はすごいと思う。金髪なら不良だとかそういう話ではなく、人の視線を集める可能性と髪が傷む可能性を受け入れているという点で。ちなみに私はインナーを2回ブリーチしているのだけれど、それさえもだいぶ悩んだ上での結論だった。色の抜けにくい髪質で、もう1回くらいブリーチした方が綺麗になりそうと思いつつ、ダメージが怖くて断念している。


 親が染髪していなかったこともあり、幼い頃は髪を染めている人たちがそれだけで怖かった。今は髪の色と性格に相関がないとしっかり理解しているのでそんな恐怖もなく、むしろ綺麗だと思うのだけれど、それを置いても髪を明るい色に染められる人のメンタルにはそれだけで若干萎縮してしまう。あらゆるリスクを享受して己の望むことを追求できるという点では、全頭ブリーチもカラーコンタクトも、それから妊娠・出産も、私にとっては等しく「すごいこと」に思える。そもそもブリーチをしている人にとって視線を集めることがリスクに値するかもわからないのだけれど。それはそれでその逞しさに気後れしてしまう。


 結局今回もブリーチしようという気持ちにはならず、普通のカラーをお願いした。とはいえせっかく2度のブリーチを経たインナーカラーは目立たせたかったので、色が抜けにくいという赤色を入れてもらった。外側のベースは同系色の少し赤みがかった茶色に。これまで寒色を選びがちだったので、こうした系統は初めてだったけれど、仕上がりがかわいかったので満足だ。LiSAちゃんみたいで気分が上がる。派手な冒険のできない私の精いっぱいで、春のうれしさを表したような色合いになった。30代をともに迎えるヘアカラー、少しでも長持ちしてくれるとうれしい。帰りに高揚した気分のままヘアオイルとトリートメントを買ったので、自宅でのヘアケアを頑張ろうと思う。

靖国通りの落としものと近江屋洋菓子店

 今年の東京の桜は、今がちょうど満開のようだ。火曜日、仕事終わりに友人と待ち合わせて千鳥ヶ淵の桜を見てきた。ライトアップされた桜を見つつ、だいぶん暖かくなってきた夜風にあたりながら飲むお酒は格段においしくて、話も弾んだ。春のうちに春らしいことができていることに安堵する。

 先週末、友人とランチを終えた後に東京駅から御茶ノ水の方まで歩いた。方向音痴な私がさほど地図を見ずとも歩けたのには理由があって、それは前職でよく歩いた帰路だった。当時、もちろん浮かれた気分で帰った日もあるはずなのだけれど、思い返したとき真っ先に浮かぶのは、死にたくて仕方なかった日のことだ。死にたい以外のことが考えられなくて、虚ろな目の先に何かの看板があったことを覚えている。もはや自死することすら億劫で、交差点で信号を待ちながら今ここに車が突っ込んできてくれたらいいのにと考えていた。そんな状態でも朝になれば会社へ行き、深夜まで残業をこなしていた「取り繕えてしまえる自分」がずっと苦しかった。在宅勤務で泣きながら仕事をしても、職場に着けば泣くことはない。そうして終日働いて、最寄り駅に着く頃には徒歩10分弱の家までが帰れず、何度夫に手を引いて連れ帰ってもらったか数え知れない。そんな生き方をしていた頃、何度も歩いたのがこの道だった。

 中央線で2駅分、帰りだけ歩いていたからいつも御茶ノ水からの向きだった。東京駅からの逆方向は新鮮で、もうずっと脳と身体に取り残されたままだったこころを数年越しに迎えに行くような気持ちだった。遅くなってごめん、今はもう死にたくなくなったし、自分に合う会社を見つけてそこに移ることができたよ。それから、当時憎んでいたいくつかのものや人たちのこと、今はもう、憎んでないよ。過去の自分に語りかけるようにも、今の自分に言い聞かせるようにもしながら、ヒールでしっかりコンクリートを踏みつけて歩いた。それは私にとって、過去を清算する行為だった。

 きっともう許せないと思っていたことを許せてしまったことが、いいことなのかどうかはよくわからない。許すためにねじ曲げてしまったものがないとは言い切れないから。だけどもういいと思った。憎しみを生命力に変えなくても生きていけるくらいに心身が回復したので、そろそろ前職への思いや当時の苦しみを断ち切ろうと思う。置き去りのこころを回収して、代わりにそうしたものを靖国通りのあたりに置いてきた。過去の私の代わりに、今頃車に轢かれているかもしれない。

 御茶ノ水まで来て、そろそろ地下駅に潜ろうとしたところで、近江屋洋菓子店を見つけた。これも前職でできなかったことのうちの一つ。職場のすぐ近くなのに、深夜まで働く日々ではついぞ訪れることができなかった。ほとんど衝動的にお店に入る。しばし並び、苺のタルトとおすすめされたアップルパイを買うことができた。回収したこころと、ケーキふたつを入れた箱を持ち、川沿いを歩いて帰る。新卒7年目の最終日、慣れないヒールに疲労を訴え始めた足とは裏腹に、こころはとても晴れやかだった。

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アンリ・マティスと少女たちの夜

 画集のようだと思っていた少女はしっかり人並みに意地が悪くて、かなしみだけではなく当然怒りも抱えており、やはり現実は芸術ではないのだと思い知らされた。そもそも画集をまともに読んだことはなかった、と、気がついたのは友人の家でマティスの画集を見せてもらった時だった。

 美術館をたのしいと思えるようになったのはごく最近のことだ。たのしいと言ってもこれはなんか好きだなあ、これはわからないなあ、くらいのもので、小学生の校外学習みたいなものだけれど。絵画がわかるようになったというよりは、わからないことをわからないままにたのしむ術を身につけたという方が近いかもしれない。春が好きなのとほとんど似た理由で、印象派の絵画を好いている。

 先日、美術が好きな友人2人と会った。マティスの画集を見せてくれた友人はパリ旅行から帰ってきたばかりで、現地で見てきた絵のことを聞かせてくれた。どの絵がよかったか、最近どんな絵画展に行ったか、今の自分のブームは何派か。彼女たちが興奮気味に話すのを聞いているのがおもしろくて、終始一人でにこにこしていた。「色の配色が完璧」「かわいい」といったコメントの裏にあるものが私にはわからなくて、でもそうしたものを言葉で表そうとしてしまうのは私のよくない癖かもしれなくて、そんな発見がおもしろかった。知らない画家の話だとしても、もっとたくさん聞かせてほしいと思った。2人は美術館で1日つぶせる人間で、私は正岡子規記念博物館に半日滞在した人間なので、おそらく根底にある芸術への熱のようなものには似通った部分があり、ただその筆の形状が異なることが私に新たな学びや気づきを与えてくれていた。似たタイプの友人同士で高い共感性や固有名詞の散りばめられた思い出話で盛り上がる時とはまた違った高揚感が、あのテーブルにはあった。

 あのたのしさを思い出し、私が好ましく思っているのは未知に触れることとその興奮であり、友人自身を純粋に好くことができていないのではないかという思いがふと過った。が、友人を好ましく思うのにそこまで明確な理由は要らないのかもしれないと思い直す。喩えるならそう、絵画を愛する彼女たちのように。単に未知が好きなのではなく、彼女たちが与えてくれるから好きなのだ。たくさん話を聞いて、満たされた気持ちで帰路につく。友人でい続ける理由は、それだけで十分なように思えた。

 2人に駅まで送ってもらい、興奮を抱えたまま終電で帰る。今回は3年越しの再会だったけれど、次に会えるのはきっとそう遠くないだろう。そんな確信に似た予感が、確かに胸にやどった夜だった。

LAST 14 days

 20代のはじまり。私の20歳の誕生日は金曜で、サークルの新歓があった日だった。ひとしきり食べたり飲んだりした後、フレンチトーストが載ったプレートが運ばれてきて、みんなが私の成人を祝ってくれたのをよく覚えている。チョコペンで「サックスパートより」って書いてあったのがとてもうれしかった。サークル以上にパートのメンバーが好きだったから。

 飲み会の後は中高の友人の家に泊まりに行った。私より3日早く成人した彼女とお菓子を食べて、夜更かしして、翌日はもう1人の友人と合流してディズニーに行った。ディズニーでお誕生日シールをもらうのが好きだ。胸に貼っていると、すれ違うキャストさん達がお祝いしてくれる。お誕生日の人はその日一日世界の主役と思っているので、たくさん祝ってほしいし、大切な人たちのお誕生日はたくさんお祝いしたい。ディズニーはそんな私の夢を叶えてくれる場所だ。

 22歳の誕生日は、第一志望の会社から内定をもらえた数日後だった。内定をもらえたことは家族とほんの一部の友人だけに話していて、だからみんなこっそりダブルでお祝いしてくれた。実家ではよくばって抹茶とチーズのケーキを一つずつ買ってもらい、それぞれにプレートをつけてもらった。「11歳が人生最大の反抗期だったので、22歳はこれまでで一番親孝行する年にしようと思ってます。」なんて日記が残っているけれど、結局満足に親孝行できたかどうかはわからない。いつも与えられるものの方がうんと多く、末っ子故に許されてきた回数もきっと家族の中で一番多い。注がれてきた愛情にお金で相応のお返しをすることは難しいし、その方法は違う気もしている。だから少しずつできる方法で愛情を返しているのだけれど、29歳の今もうまくお返しできている気はしていない。この先返せる限りうんとたくさんの愛情を返し続けていくつもりだ。

 大好きなサックスパートから素敵なサプライズで祝ってもらったのもこの年だった。サークル活動を終えたバスの中で「帰ったら絶対にポストを見ろ」と念押しされた。当時の私はポストを毎日覗く習慣がなく、数日分の郵便物を溜めたままにしていることもよくあった。確かにここ数日ポストを開けていなかったし、久々に確認するかと思って開いたところ、中いっぱいにお菓子が詰め込まれていた。キャンディ、お煎餅、袋菓子、チョコレート、ガム……。予想もしていなかったサプライズに、なるほど彼が言っていたのはこれだったのかとわくわくしながら中身を取り出す。袋いっぱいになるほどのお菓子が出てきた。それから、サックスパートの同期からの写真付きメッセージも。「おめでとう」のあいうえお作文でお祝いの言葉が綴られていて、うれしさと興奮が一気に押し寄せてきた。(後日御礼を伝えたところ、「本当はもっとたくさんお菓子を用意していたのに放置された郵便物が多く入りきらなかった」との裏話を聞かされた。ごめん、そしてあの時は本当にありがとう。)サークル活動に関しては本当にいろいろな感情の動きがあって、合奏についてだったり自分の音についてだったり人間関係についてだったりするのだけれど、上京して一人暮らしを始めた私のホームシックを埋めてくれた要素のひとつは確実にサークルの仲間たちだ。それから、男性恐怖症を寛解させてくれた要因も。今よりもっと人付き合いが下手で、怖がりだった私を仲間に入れて大切にしてくれた仲間たちだ。会えば酒を飲むばかりでこんな真面目なお礼を伝えることもないのだけれど、こう見えて同期のことは大好きだ。(こう見えて、と言いつつ、おそらく皆にはばれている。)

 社会人1年目の誕生日をいっとう早く祝ってくれたのは、同期の女の子だった。実家が会社に通える距離にない新入社員は本配属の決まる6月までマンスリーマンションに住むことが決まっていて、その年は私を含む5人がそこに入居した。彼女はそのうちの1人で、私の隣の部屋に入った子だった。誕生日前日の夜、ピンポンの音にドアを開けると、ケーキを持った彼女が立っていた。コンロで火をつけてすぐにピンポンを押してくれたらしく、ろうそくにはちゃんと火が灯っていて、その場で吹き消した。時計を見るとまだ23時。フライングだって2人で笑いながら、入社1週間で既に同期に恵まれたことを感じ始めていた。

 翌日、その話を同期のみんなにしたところ、その日の夜にお祝いしてくれることになった。「買いたいゲームがある」と言う同期の男の子2人とは駅で別れ、残った数人とご飯を食べていると、先程別れたはずの2人がケーキを持って現れた。男性を恐怖の対象においていた時期が長く、特に彼らのような教室の中心にいるようなタイプには友人のカテゴリにきっと入れてもらえないと思っていたから、そのやさしさがとてもうれしかったことをよく覚えている。その後しばらく、会社のメンバーに彼らのポジティブキャンペーンをして回ったくらいには感激した。

 (これは余談だけれど、ポジティブキャンペーンを聞きつけて、後日「おれらも」と祝ってくれた同期が2人いた。そのうちの1人が今の夫で、当時はまだ付き合っていなかったけれど、たいそう照れながらケーキを食べさせてもらっている写真が携帯に残っている。)

 社会人2年目以降の誕生日は、毎年彼氏と一緒に過ごした。27歳の誕生日、彼氏が夫になった。日曜だったから区役所は開いていなくて、宿直室の小さな窓に2人で届けを提出した。2人の記念日を私の誕生日に寄せてくれる夫は本当にやさしい人だと思う。その認識は、まもなく結婚3周年を迎える今も変わらない。誕生日に対する私の特別な思いを知っていて、私が私を世界の主役にする、一年でいちばんうれしい4月11日という日に、特別な意味をもうひとつ加えてくれた。その日付は結婚指輪の裏側にもしっかりと彫ってあり、毎年この日が来ると、今まで以上にうれしくなると同時に、夫のやさしさを実感している。どうしようもなく死にたかった2年前の私に自殺を思いとどまらせたのも「このやさしい人を挙式直前で未亡人にしてしまうのはあまりに申し訳ない」という思いだった。果たしてそれは今も私の生きる意義になっていて、両親や姉と同様に、私は時間の許す限り彼を愛して、愛された分の思いを返して、これからも生きてゆくのだろうと思う。

 20代の中で特に思い出深い誕生日を書き連ねてみたら、やっぱり私は周囲に恵まれていることを実感したし、彼らに会いたくなった。既に予定の詰まっている春だけど、会いたい人に自分から連絡をとってみるのもいいかもしれない。

 30歳の誕生日まで、そして結婚3周年の記念日まで、あと14日。

LAST 15 days

 気づけばあと2週間ほどで20代が終わりそうで、目に見えて何かが変わるわけでもないけれど何かをしておかなければいけないような気持ちになって、すこし焦っている。仕方がないので、こうしてブログを書くことにした。


 最近はよく人に会っている。冬の終わりを予感し始めたら人に会いたくなってきて、私にしては珍しく予定を詰め込んだ3月だった。ちなみに5月の頭くらいまで、いくつか予定が詰まっている。会社の同期から大学の友人、中高の友人といろいろな知り合いに会っているけれど、友人の多くが母親になっていることにふと気づく。一児の母、三児の母、妊婦、新米ママ。今の私には「大変そう」以上の感想を抱き得ない育児生活をこなす友人たちは、しかし皆からりとしていて、逞しい。そんな性格だから母親になれているのか、母親になった以上そうならざるを得なかったのかはわからないけれど、大切な友人たちがそれぞれのかたちで今を受け入れられていることに一友人として安心したし、将来子をなし得る身にそれは希望でもあった。


 30代になることも、自分にとってはじんわりナーバスなことだったけれど、最近はようやく受け入れられるような気がしている。たまにこうして焦ったりはするものの、今はちょっぴりたのしみでもあるのだ。もとより誕生日が、というか祝われるのが好きなので、それがたのしみなだけかもしれないけれど。何にせよ、自分の誕生日を祝ってくれる人が周囲にたくさんいる20代の終わりって本当に幸せなことだと思う。かつて電気の通らない被災生活の中、乾電池式のラジオから聞こえた放射線情報に私たち成人できないんじゃないかって怯えていた過去の自分に伝えたい。成人どころか、ちゃんと30歳になれそうだよって。あの時「同じ街で放射線浴びてるんだからどうせ早死にするならみんな一緒だよ」って私を慰めてくれた友人も、同い年なので今年で30歳だ。そんな頼もしく愛しい友人たちと一緒に突入できるなら、30代の生活でもきっと素敵なものをたくさん見つけられるような気がしている。


 10年前の私が見たら、綺麗事や強がりだって鼻で笑うかもしれない。でもそれでもいい。綺麗なものばかり選んで目や耳に入れるように生きている自覚がある。そうして自分の周りに構築してきた薄い壁のやさしいだけの世界を、きっと30代の私も愛してゆくのだろう。だけど目を逸らせないほどの悪意や自分の心を蝕むものには、ちゃんと別れを告げられるから大丈夫。劣悪な労働環境も、民度が良いとは言えない住環境も、メンタルへ悪影響を及ぼす人間関係も、20代のうちに己で断ち切った。30代も自分の足で立って、歩いて、たまに立てなくなって引き上げてもらって、怖いだ不安だ無理だって泣き言言っては慰めてもらって、そうして前に進んでいくのだと思う。


 20代最後の気持ちはこんな感じ。明日はここ10年を振り返る日にしよう。

春コミに行ってきた

 春コミに行ってきた。
 もはや混雑の代名詞のようにコミケの話題でしか聞くことのない東京ビッグサイトという施設名、最寄り駅も知らぬままにこれまでなんとなく敬遠していた。人混みへの耐性が低い自覚があるので今後も行くことはないだろうと思っていたその場所に、どうしても行きたい用事ができてしまい日曜にお邪魔してきた。
 ネット上で創作小説を楽しませてもらっている書き手の方が新刊を出すと言う。先行公開で読んだいくつかの話は私の好みに直撃し、絶対に新刊を読みたいと思った。のだが、販売は今のところ春コミをはじめとしたイベント会場のみで、オンラインでの販売予定はないとのこと。求める創作物を追うか、人混みのない穏やかな休日を過ごすか……。そもそも春コミというイベントについて何も知らない状態だったので、いろいろ調べつつ前日(もはや当日の朝)3時くらいまで行くかどうか悩んでいた。
 翌朝、割かしすっきりと目が覚めたので東京ビッグサイトへと向かう。最寄り駅は東京ビッグサイト駅と言うらしい。わかりやすい。開場3時間前から待機できるらしかったが、私が着いたのは開場10分後くらい。それでも30分くらいの待機で会場に入ることができた。開場はジャンルによっていくつかの建物に別れていたが、お目当てのブースの建物が一番近かったのもありがたかった。文フリのような気持ちで各ブースを物色しつつ、今回の目的地へたどり着くと、そこには既に長蛇の列ができていた。文フリで言うと胎動短歌並みの列の長さで、他のブースト比べても異色の人気であることは一目瞭然だった。時間はたっぷりあるのでのんびり並ぶ。隣に並んでいた女の子と二、三会話する。前に並ぶ二人もその場が初対面らしかったが、ハイキューやブルーロックの話で盛り上がっているようだった。
 20分ほど並んだところで、今回の新刊が完売したとアナウンスが入る。ここで私の目的も果たせないことが決まってしまったのだが、他のお目当てもなかったのでなんとなく並び続ける。新刊が完売したことで列を抜けた人たちがちらほらいて、そこからは10分もしないうちに列の先頭まで来た。せっかくなので、残っていた既刊3種を1部ずつ購入する。後ろはまだまだ長蛇の列だったので、書き手さんにまともに声を掛けることもできずとりあえずお礼を言ってブースを去った。
 目的を果たすと(厳密には果たせていないのだが)なんだかどっと眠気がおそってきて、早めに帰ろうと思い出口へ向かうことにした。途中、いくつかの建物を横切る中であらゆる作品を目にした。そこかしこに熱を帯びた創作意欲が形となって並べられているのはとてもおもしろく、わくわくする光景だった。小説、イラスト、ネイルシール、着ぐるみ用の衣装。それから、己自信を創作物とした所謂コスプレイヤーの方々。東京の一角にこれだけの創作の結晶が集まるこうしたイベントのこと、実際に体感できてよかったと思う。人混みは苦手だけれど、それを凌駕するたのしさがあった。
 二次創作はグレーゾーンだし、賛否両論あるけれど、もしきちんと摘発することになったとしたら、これだけの力を抑圧してしまうのはあまりにもったいないと思った。だからグレーのままで息をさせてもらえているのかもしれないけれど。原作者や原作への深いリスペクトを持つことと、原作者が黙認してくださっていることは大前提として、それが各人の解釈や考察、想像によって新たな世界へ広がっていくのは素敵なことのように思えた。何かを創るということは生きることに少し似ているようにも思う。
 家に着くことにはまだお昼だというのにすっかりくたびれていて、適当にスーパーで買ったビビンバ丼を食べてお昼寝をした。創作は創るのも触れるのも、本気であればあるほどパワーが要る。食べて寝て、元気な心身を維持しつつ、私も創作を頑張ろうという気持ちになれた日曜だった。

 ところで今回逃した新刊、どこかで買える機会が来るだろうか……。

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