できたてガパオライス

ゆすらの日常。毒にも薬にもならないことばたち。

やさしいきみだけを信じる

 誰が誰を好きとか、嫌いとか、そういう話を何度聞いても覚えられない。大学で所属していた吹奏楽サークルは、サークル内恋愛が多くて、それはつまりサークル内失恋やサークル内浮気、寝取り寝取られが多いことを意味していた。4学年で60人前後、4年間所属したので単純計算で100人以上。OBの先輩方を含めたら、もっと。そんな人数の相関図なんて、覚えられるわけがなかった。

 

 そんな私に反して、相関図の一員たる同期の女の子たちは噂や人間関係に敏感で、勘もよかった。生きづらそうだな、と思いはしたものの、私よりも気が回ることは確かだったので、飲み会では毎回メンバー選出をお願いしていた。誰と誰が共演NGとか、私にはわからなかったから。

 

 噂は私の耳にも届いているはずなのに、それを私が覚えられないのは、たぶん耳を塞いでいるからなのだろうと思う。誰にどんなひどいことをされたか、確かに聞いているけれど、その相手も私の前ではやさしくて、だから私は、誰のことも嫌いになれないでいる。人の綺麗なところだけを見て、信じたい面だけを信じている私の世界はひどくあまくて、残酷で、どうしようもなく薄っぺらい。喧嘩はしないけど、喧嘩になるほど深い話もしない。それだけのことだ。

 

 私たちが卒業した後のことだったか、同期が起こした、割と大きめなトラブルがあったらしい。詳しくは覚えていないけれど、それを初めて知ったのもたった1年前のことで「あの事件を知らないなんてお前レアだな!」とひどく驚かれたことだけよく覚えている。でもそういう人間、必要でしょ?事実を見ていない私は人伝にしか知ることができないから、すべてを信じることはできない。だから信じたいことだけを信じるし、あなたは私に見せたい面だけを話せばいい。そしたら私は、やさしいあなただけを信じるよ。

 

 人と話している時、たぶん今、騙されているんだろうなあと感じることがある。あるいは、隠されているなあと。私自身は嘘をつくのがとてつもなく下手なので、割と誰にでも感情が筒抜けで、それなのに私ばかり欺かれたり、隠されたりするのはフェアじゃないなあと思ったりもする。だけど疑うのが面倒なので、最近は余計なことを考えずにただ信じることにしている。

 

 騙されている気配を感じながら信じるって、本当は難しいことだ。だけどたくさんの人にやさしくされてきた私は、それを愚かしく続けることができる。強みと言ってもいいかもしれない。

 

 私に言ってくれた好きも、あの子の話題で出てきた嫌いも、鈍い私はどれが本当でどれが嘘かわからないから、私への好きだけ信じる。私もあなたが好き。そうすればほら、お互いハッピーでしょ。

 

 いつか本当にどうしようもなく悪い人が現れたら、私はこっぴどく騙されてぼろぼろにされてしまうかもしれないけれど、そんなことがあったら、あいつ馬鹿だなあ。馬鹿だけど憎めないなあ、って言って、嘘でもいいからやさしく笑ってほしい。