できたてガパオライス

ゆすらの日常。毒にも薬にもならないことばたち。

藤の花枯れた

 おそらく国内で上位10位くらいに入るだろう、ありふれた名字が好きだった。藤を含むこの旧姓が。
 だからなのか、名字が変わることへの違和感に慣れるまでに、かなりの時間を要した。世間的には「結婚はおめでたいこと」であり、それに伴う改姓も当然おめでたいことであるようで「新しい名字は何になったの?」と、わくわくした面持ちでよく聞かれた。その度に、当事者でありながらそのおめでたさに取り残されたような気がしていた。一年の延期を経た挙式や、夫を連れた祖父母の墓参りなどを重ねて、徐々に慣れていったのだけれど。
 タイミングをつかまえるのが苦手な私のために用意された運命なのか、2022年は手放すべきものもそれなりにあった。

 まず、大好きな家族と自分との間に、どうしたって埋められない溝ができた。もうきっと、埋まることはないのだと思う。家族は今でも大好きだし、大切だけれど、その上で認めてしまった溝だった。私が自分を好きでいるために、それは認めなければならないもので、家族とのちいさな決別だった。
 ひとつ、旧姓を手放す覚悟ができてきた。

 春には挙式をした。年始に認めてしまった溝のこともあり、どうなることかと思ったが、式は恙なく執り行われた。何十年ぶりかの父の腕に触れ、たくさんの大好きな人たちに見守られながら、二人でヴァージンロードを歩いた。父は途中で立ち止まり、私の手は夫へと手渡された。
 ひとつ、新姓を受け入れる覚悟ができてきた。

 冬には転職をした。前の会社では入社当初のままの旧姓で働いていたので、おそらく新姓を知る人は一部だったと思う。電話やメールで旧姓を名乗ることも、旧姓で呼びかけられることも、きっとこれが最後だった。それから、今度は私の旧姓を誰も知らない職場へ飛び込んだ。
 ひとつ、新姓を名乗って生きる覚悟ができてきた。

 旧姓を手放し、新姓を受け入れるにつれて、私の胸に蔦を巻いていた藤の花は徐々に色褪せていった。今はもう、すっかり枯れてしまったように思う。姓を手放すものと思っていた改姓は、経験してみれば「姓」のフォルダから外付けハードディスクの「旧姓」フォルダへ移動させるようなことだった。自分のものでなくなったわけではない、けれど自分からアクセスしなければそれに触れることもない。色褪せた藤は、そんな領域に移された。

 どことなくあまいさみしさを伴うその別れは、しかし悲観的なものではなかった。先に記した通り、少しずつ気持ちを固めていくことができたからだ。覚悟が遅い私を待ってくれる時間は十分にあった。今ではもう、新姓が掘られたお墓にいつか骨をうずめることも、まあ、悪くないかなと思っている。枯れてしまった藤の花は、私の新姓にも、母の旧姓にも、それからこの時間軸のもっと先やその逆にあるたくさんの名字にも蔓を伸ばし、私たちを大きな家族たらしめてくれているような、そんな気が今はしている。