できたてガパオライス

ゆすらの日常。毒にも薬にもならないことばたち。

LAST 14 days

 20代のはじまり。私の20歳の誕生日は金曜で、サークルの新歓があった日だった。ひとしきり食べたり飲んだりした後、フレンチトーストが載ったプレートが運ばれてきて、みんなが私の成人を祝ってくれたのをよく覚えている。チョコペンで「サックスパートより」って書いてあったのがとてもうれしかった。サークル以上にパートのメンバーが好きだったから。

 飲み会の後は中高の友人の家に泊まりに行った。私より3日早く成人した彼女とお菓子を食べて、夜更かしして、翌日はもう1人の友人と合流してディズニーに行った。ディズニーでお誕生日シールをもらうのが好きだ。胸に貼っていると、すれ違うキャストさん達がお祝いしてくれる。お誕生日の人はその日一日世界の主役と思っているので、たくさん祝ってほしいし、大切な人たちのお誕生日はたくさんお祝いしたい。ディズニーはそんな私の夢を叶えてくれる場所だ。

 22歳の誕生日は、第一志望の会社から内定をもらえた数日後だった。内定をもらえたことは家族とほんの一部の友人だけに話していて、だからみんなこっそりダブルでお祝いしてくれた。実家ではよくばって抹茶とチーズのケーキを一つずつ買ってもらい、それぞれにプレートをつけてもらった。「11歳が人生最大の反抗期だったので、22歳はこれまでで一番親孝行する年にしようと思ってます。」なんて日記が残っているけれど、結局満足に親孝行できたかどうかはわからない。いつも与えられるものの方がうんと多く、末っ子故に許されてきた回数もきっと家族の中で一番多い。注がれてきた愛情にお金で相応のお返しをすることは難しいし、その方法は違う気もしている。だから少しずつできる方法で愛情を返しているのだけれど、29歳の今もうまくお返しできている気はしていない。この先返せる限りうんとたくさんの愛情を返し続けていくつもりだ。

 大好きなサックスパートから素敵なサプライズで祝ってもらったのもこの年だった。サークル活動を終えたバスの中で「帰ったら絶対にポストを見ろ」と念押しされた。当時の私はポストを毎日覗く習慣がなく、数日分の郵便物を溜めたままにしていることもよくあった。確かにここ数日ポストを開けていなかったし、久々に確認するかと思って開いたところ、中いっぱいにお菓子が詰め込まれていた。キャンディ、お煎餅、袋菓子、チョコレート、ガム……。予想もしていなかったサプライズに、なるほど彼が言っていたのはこれだったのかとわくわくしながら中身を取り出す。袋いっぱいになるほどのお菓子が出てきた。それから、サックスパートの同期からの写真付きメッセージも。「おめでとう」のあいうえお作文でお祝いの言葉が綴られていて、うれしさと興奮が一気に押し寄せてきた。(後日御礼を伝えたところ、「本当はもっとたくさんお菓子を用意していたのに放置された郵便物が多く入りきらなかった」との裏話を聞かされた。ごめん、そしてあの時は本当にありがとう。)サークル活動に関しては本当にいろいろな感情の動きがあって、合奏についてだったり自分の音についてだったり人間関係についてだったりするのだけれど、上京して一人暮らしを始めた私のホームシックを埋めてくれた要素のひとつは確実にサークルの仲間たちだ。それから、男性恐怖症を寛解させてくれた要因も。今よりもっと人付き合いが下手で、怖がりだった私を仲間に入れて大切にしてくれた仲間たちだ。会えば酒を飲むばかりでこんな真面目なお礼を伝えることもないのだけれど、こう見えて同期のことは大好きだ。(こう見えて、と言いつつ、おそらく皆にはばれている。)

 社会人1年目の誕生日をいっとう早く祝ってくれたのは、同期の女の子だった。実家が会社に通える距離にない新入社員は本配属の決まる6月までマンスリーマンションに住むことが決まっていて、その年は私を含む5人がそこに入居した。彼女はそのうちの1人で、私の隣の部屋に入った子だった。誕生日前日の夜、ピンポンの音にドアを開けると、ケーキを持った彼女が立っていた。コンロで火をつけてすぐにピンポンを押してくれたらしく、ろうそくにはちゃんと火が灯っていて、その場で吹き消した。時計を見るとまだ23時。フライングだって2人で笑いながら、入社1週間で既に同期に恵まれたことを感じ始めていた。

 翌日、その話を同期のみんなにしたところ、その日の夜にお祝いしてくれることになった。「買いたいゲームがある」と言う同期の男の子2人とは駅で別れ、残った数人とご飯を食べていると、先程別れたはずの2人がケーキを持って現れた。男性を恐怖の対象においていた時期が長く、特に彼らのような教室の中心にいるようなタイプには友人のカテゴリにきっと入れてもらえないと思っていたから、そのやさしさがとてもうれしかったことをよく覚えている。その後しばらく、会社のメンバーに彼らのポジティブキャンペーンをして回ったくらいには感激した。

 (これは余談だけれど、ポジティブキャンペーンを聞きつけて、後日「おれらも」と祝ってくれた同期が2人いた。そのうちの1人が今の夫で、当時はまだ付き合っていなかったけれど、たいそう照れながらケーキを食べさせてもらっている写真が携帯に残っている。)

 社会人2年目以降の誕生日は、毎年彼氏と一緒に過ごした。27歳の誕生日、彼氏が夫になった。日曜だったから区役所は開いていなくて、宿直室の小さな窓に2人で届けを提出した。2人の記念日を私の誕生日に寄せてくれる夫は本当にやさしい人だと思う。その認識は、まもなく結婚3周年を迎える今も変わらない。誕生日に対する私の特別な思いを知っていて、私が私を世界の主役にする、一年でいちばんうれしい4月11日という日に、特別な意味をもうひとつ加えてくれた。その日付は結婚指輪の裏側にもしっかりと彫ってあり、毎年この日が来ると、今まで以上にうれしくなると同時に、夫のやさしさを実感している。どうしようもなく死にたかった2年前の私に自殺を思いとどまらせたのも「このやさしい人を挙式直前で未亡人にしてしまうのはあまりに申し訳ない」という思いだった。果たしてそれは今も私の生きる意義になっていて、両親や姉と同様に、私は時間の許す限り彼を愛して、愛された分の思いを返して、これからも生きてゆくのだろうと思う。

 20代の中で特に思い出深い誕生日を書き連ねてみたら、やっぱり私は周囲に恵まれていることを実感したし、彼らに会いたくなった。既に予定の詰まっている春だけど、会いたい人に自分から連絡をとってみるのもいいかもしれない。

 30歳の誕生日まで、そして結婚3周年の記念日まで、あと14日。