できたてガパオライス

ゆすらの日常。毒にも薬にもならないことばたち。

あまりに無力な、

 大好きで大切な友人のために何ができるかを、ずっと考えている。
 友人が今悲しんでいるかもしれなくて、泣いているかもしれなくて、だけど私はそれを案ずることしかできない。途轍もない無力感に苛まれている。
 やさしくていつも笑顔で素敵な女の子。そんな子は幸せであって然るべきで、それは「幸せでいてほしい」なんて生ぬるいものではない。「幸せでなくてはいけない」のだ、彼女は。これは怒りだ。理不尽な世界への、私個人の身勝手な怒り。私たちに幸せをくれるあの子は誰よりも幸せでなくてはいけないのに、それなのにどうして。行き場のない怒りを抱くと同時に、どうしようもなく遣る瀬無い気持ちになってしまう。
 だけどこうして彼女が苦しいかもしれないと決めつけることも、彼女に押し寄せる理不尽へ私が腹を立てることも、すべては私のエゴでしかなくて、それは私たちの前で明るく笑顔であろうとする彼女の覚悟を無碍にするものかもしれない、とも思う。だからここにひっそり吐き出している。どうか、彼女がこれを読みませんように。
 毎日会えるわけではない友人のために自分ができることは本当に僅かしかなくて、ずっと考えているのに全然思いつかない。できることのほとんどは自分のしてあげたいことで、そのうちのどれだけが本当に彼女を支え得るのかは見当もつかない。それでも、何もしないなんて選択肢はなくて、一つでもいいから彼女の役に立ちたいと、心の底から思っている。
 「人生は個人戦」「死ぬときはみんな一人」と常々思って生きているけれど、私はまだこれらを本当の意味では理解していなかったのだろうと思う。個人戦と言いつつその沿道にはたくさんの声援があることも、それでもやっぱりゴールテープを切る瞬間は一人きりで、沿道からどれだけ伴走したいと切望しても、一緒にゴールはできないのだということも。最期は一人だと知りつつも、大切な人たちを一人にはしたくなくて、一人になりたくもなくて、きっと私は足掻き続けるのだと思う。生きている限り。
 彼女と彼女の家族に、これからたくさんの、本当にたくさんの幸せが訪れますように。頑張り屋で忙しい彼女に、安息が訪れますように。神頼みをしながら、自分にできることを積み重ねていくしかない。まずは彼女が助けを求めた時にいつだって力になれるよう、静かに見守ること。それから、数か月後に来る彼女の誕生日には盛大にお祝いして、生まれてきてくれてありがとう、生きていてくれてありがとうって力強くハグをしながら伝えたい。