できたてガパオライス

ゆすらの日常。毒にも薬にもならないことばたち。

LAST 15 days

 気づけばあと2週間ほどで20代が終わりそうで、目に見えて何かが変わるわけでもないけれど何かをしておかなければいけないような気持ちになって、すこし焦っている。仕方がないので、こうしてブログを書くことにした。


 最近はよく人に会っている。冬の終わりを予感し始めたら人に会いたくなってきて、私にしては珍しく予定を詰め込んだ3月だった。ちなみに5月の頭くらいまで、いくつか予定が詰まっている。会社の同期から大学の友人、中高の友人といろいろな知り合いに会っているけれど、友人の多くが母親になっていることにふと気づく。一児の母、三児の母、妊婦、新米ママ。今の私には「大変そう」以上の感想を抱き得ない育児生活をこなす友人たちは、しかし皆からりとしていて、逞しい。そんな性格だから母親になれているのか、母親になった以上そうならざるを得なかったのかはわからないけれど、大切な友人たちがそれぞれのかたちで今を受け入れられていることに一友人として安心したし、将来子をなし得る身にそれは希望でもあった。


 30代になることも、自分にとってはじんわりナーバスなことだったけれど、最近はようやく受け入れられるような気がしている。たまにこうして焦ったりはするものの、今はちょっぴりたのしみでもあるのだ。もとより誕生日が、というか祝われるのが好きなので、それがたのしみなだけかもしれないけれど。何にせよ、自分の誕生日を祝ってくれる人が周囲にたくさんいる20代の終わりって本当に幸せなことだと思う。かつて電気の通らない被災生活の中、乾電池式のラジオから聞こえた放射線情報に私たち成人できないんじゃないかって怯えていた過去の自分に伝えたい。成人どころか、ちゃんと30歳になれそうだよって。あの時「同じ街で放射線浴びてるんだからどうせ早死にするならみんな一緒だよ」って私を慰めてくれた友人も、同い年なので今年で30歳だ。そんな頼もしく愛しい友人たちと一緒に突入できるなら、30代の生活でもきっと素敵なものをたくさん見つけられるような気がしている。


 10年前の私が見たら、綺麗事や強がりだって鼻で笑うかもしれない。でもそれでもいい。綺麗なものばかり選んで目や耳に入れるように生きている自覚がある。そうして自分の周りに構築してきた薄い壁のやさしいだけの世界を、きっと30代の私も愛してゆくのだろう。だけど目を逸らせないほどの悪意や自分の心を蝕むものには、ちゃんと別れを告げられるから大丈夫。劣悪な労働環境も、民度が良いとは言えない住環境も、メンタルへ悪影響を及ぼす人間関係も、20代のうちに己で断ち切った。30代も自分の足で立って、歩いて、たまに立てなくなって引き上げてもらって、怖いだ不安だ無理だって泣き言言っては慰めてもらって、そうして前に進んでいくのだと思う。


 20代最後の気持ちはこんな感じ。明日はここ10年を振り返る日にしよう。