できたてガパオライス

ゆすらの日常。毒にも薬にもならないことばたち。

シンガポール旅行記 vol.2

 雨と果物の匂い。入り混じる言語や文化。それらを押し込めたような湿度の高さ。街に広がっていたのは、まさにジャンクションと呼ぶに相応しいアジア特有の混沌だった。

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 一年を通して雨の多い国。そこに住む人々は雨との付き合い方をよく心得ているようだった。マーライオンを見に行く途中、道路の反対側へ渡るために潜った地下道には人が溢れていた。所狭しと並べられたビニルシートの上で、好き好きに寛ぐ人たち。飲食をする人、アコギを弾く人、スピーカーで音楽を流して歌う人、人、人......。横になっている人を見かけた時、自国の風景を思い出し身寄りのない人かと思ってしまったが、満ちる活気にそうではないことがすぐにわかった。そこが野外で、桜の花が咲いていればそれは日本の花見と何ら変わりのない光景だった。

 四つの公用語をもつ国。あらゆる文化が存在するのは当然のことで(無論、公用語を一つしかもたない日本にも文化は複数存在するのだが)、それを理解することの重要さと、理解できずに誤認してしまうおそろしさの片鱗に触れた気がした。初めて目にする異文化を「治安」や「民度」という言葉で遮断しそうになった。自分の使うそれらは自国の基準によるものに過ぎないというのに。少なくとも、あの雨の地下道にあったのは紛れもなく「文化」だった。

 リトルインディアの駅で見かけた、地べたに座る人や裸足の人の多さ。チャイナタウンのホーカーに充満するドリアンの匂い。わかるようで所々聞き取れないシングリッシュ。あらゆる未知のものに触れ、違和感をーそれが自分にとって心地よいものであろうとなかろうとーたのしむために、私は海外旅行を重ねているのだと再認識した。渋谷のスクランブル交差点で、人の多さに辟易しつつも色とりどりの個性たちにどこかわくわくするような、あの興奮。初見のものばかりの土地で自分の知っていることばや音楽に出会い、記憶のある一点と現在が結ばれていく時の夜明けのようなあの感覚。五感に触れるあらゆるものが刺激的で力強く、魂は知らず高揚していく。夢のように浮かれた気持ちの、しかし夢と呼ぶにはあまりにしっかりとした手触りの3泊4日だった。

 ヨーロッパばかり訪れていたので、アジア圏はまだまだ知らない場所が多く、行くたびにあのパワフルな混沌に圧倒されてしまう。しかし旅先で出会ったどの人もフレンドリーで優しかった。次は大好きなタイ料理を本場で頂くために、タイを訪れてみたい。