できたてガパオライス

ゆすらの日常。毒にも薬にもならないことばたち。

日曜日、雨、ロッテリアで待つ家の鍵

 朝から仕事をしたり、たくさんの人に会ってやるべきことをこなしたりしたら身体がもわっと熱を持ってしまったので、二駅ほど歩いて帰った。最寄りをはしる線路沿いを、40分ほどかけて歩く。若手の頃、仕事がうまくいかなかったりするとこうして頭と身体を冷やしながら帰っていたので、なんだか懐かしい気持ちになった。

 二駅先に着く。最寄り駅まではさらにあと二駅あるが、この先の一駅はすこし距離があり、雨も降ってきたので諦めて電車に乗る。電車が来るまでや、次の駅から発車するまでに待ち時間があって、歩いた方が早かったかもしれないと思ったけれど、濡れないというのは大きい。私は雨があまり好きではない。

 無事に最寄駅に着き、さあ家に帰ろうと思ったところで、鍵を持っていないことに気がついた。今朝は私が先に家を出たので施錠をせず、だから鍵がないことに今まで気づかなかった。すこし落ち込んだが、いつかやるだろうとも思っていた。平日は大抵、私が先に家を出て、私が後に帰ってくるので、施錠も解錠もしないのだ。帰宅時はインターホンを押して家人に解錠してもらっている。完全に日々のものぐさが引き起こした結果だった。予測できた事態だったので、気持ちを切り替えてカフェに入ることにする。駅前にあるロッテリア。この街に住んで数年になるが、入るのは初めてだった。そもそもロッテリアを訪れること自体、何年ぶりかわからない。鈴木晴香さんの短歌を思い出す。

ロッテリアどこにあるって聞かれたら九十九年の夏の新宿/鈴木晴香

左右社『心がめあて』より

 この感覚はよくわかる。たとえば私の場合、サイゼリヤと言われたら仙台駅前のビルの地下だし、カラオケ館と言われたら同じく駅前のアーケード入口だ。どちらも2010年前後。自分たちの纏う輝かしいほどの有限性に気がつかず、だからこそ今にして思えばまばゆいあの頃を思い出し、すこしだけ地元に帰りたくなった。

 ロッテリアでホットカフェラテを飲みつつ、Twitterをいじったり持っていた本を読んだりしているうちに、帰ってきた家人が迎えに来てくれた。おかえり、我が家の鍵(とその持ち主)。今日はすぐにこうして帰って来られたからよかったが、彼が遠方に旅行でもしていようものなら私は完全に路頭に迷ってしまう。明日からは財布やiPhoneといっしょに、鍵もしっかり確認することを胸に誓った。

 雨はまだ止んでいないらしい。どうやら明日の朝までは続くようだ。スーパーで買い出しをして、家に帰ったら温かいものを食べよう。久々のロッテリアは期待以上の居心地のよさだったので、近いうちまた来ようと思った。