できたてガパオライス

ゆすらの日常。毒にも薬にもならないことばたち。

フランス旅行記 vol.2

5月4日(土)晴れ

 入国して2日が経った。初日こそ雨の中歩き回ることになったものの、昨日と今日はよく晴れている。たまに天気雨に打たれるくらいだ。パリは想像以上に寒い。行く前は半袖で観光を楽しむ気満々で、念のためと薄手の長袖や上着を持ってきたのだけれど、初日はそれだけでは足りないほど寒く、早々にパーカーを現地調達することになった。安心と信頼のPULL&BEAR、バリで一目惚れしてパーカーを買って以来、リヨンで手袋を現地調達した際にもお世話になり、今回で3度目の利用になる。狙い通り、好みのかわいい服を見つけることができた。日本に帰ってからも日常使いするだろうと思う。

 2日目はジヴェルニーを訪れた。今回の旅でどうしても行きたかったのがこの街だった。友人たちからの評判もよく、特にこの時期は色とりどりの花が咲きさぞうつくしいだろうと期待を高めて行ったが、それが裏切られることなく、むしろ期待以上の風景を提供してくれた。抱いたのは高揚というより精神の故郷へ帰ったような安寧に近く、1日中ここで過ごしても飽きることはないだろうと思われた。竹や松、藤といった、よく知る植物も多かったからかもしれない。先日、ギタリストの友人と交わした、文学と音楽との親和性についての会話を思い出す。

 堀辰雄の小説の一節、長野の自然を描写した文章と、バッハやブローウェルといった音楽家の、ドイツやキューバの自然を描いた楽章。年代も場所も全く異なる作品だが、それらへ同時に、あるいは交互に触れることで、それぞれをより深く味わうことができるという話。年代や場所が異なることが寧ろ、文章や音楽の余韻に、そして私たちの想像に奥行きを与えてくれる。

 自然という、我々の人生と切り離すことのできない広大な背景は、時代や地域を超えて地続きになっており、たとえよく知る土地を離れても我々のこころは奥底でそれを感じとることができる。初めて訪れたジヴェルニーで感じた安寧は、正にそれだったように思う。飛行機と電車を乗り継いだ果ての出会いは、大いなる自然からすればどちらの腕で私たちを抱くか、くらいの差異でしかないのかもしれない。その腕に抱かれ、その胸に身を寄せて生きる私たちにとって、どちらも心地のよいものであることに変わりはなかった。

 フランスを訪れる数日前に、友人とその話ができてよかったと思う。できることなら彼の選んだ曲を聴きながら、ジヴェルニーをより深く味わいたかたった。帰国したら、写真や記憶に、そしてこうして文章に残した断片を集め、それらとともに再び音楽を味わおう。それから、ジヴェルニーには絵画もある。モネの絵を3枚ほど買ってきた。音楽と文学に、絵画という芸術が加わることで、果たしてどれほど深く自然に手を伸ばすことができるだろう。その果てで何かが生まれるとき、そこからまた新たな芸術を生み出せるよう、帰国したらまた筆を執りたい。

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