できたてガパオライス

ゆすらの日常。毒にも薬にもならないことばたち。

ワンナイト・ジントニック

 キスもセックスもない、文字通りのワンナイト・ラブをしたことがある。

 22歳の5月、金沢。空は快晴で、もう初夏と呼べるくらいの暖かさだった。スマホを取り出して、メッセージを打ち込む。

 「金沢つきました」

 送信先は、かつて恋にも満たない憧れを抱いていた相手。私たちは、8年ぶりに再会を果たそうとしていた。

 先生と知り合ったのは、中2の時に通っていた塾だった。大人で(と言っても当時19歳だったので実は未成年だった)、背が高くて、勉強ができる。かっこいいお兄さんに好かれたくて「宿題いくらでも出してください!」なんて見栄を張って勉強に励んだ記憶がある。

 そんな相手と再会することになったのは本当に偶然で、早々に就職活動を終えた私の就職先が、先生の勤める会社と同じ系列であったことがきっかけだった。Facebookメッセンジャーで久々に連絡をとり、就職の報告をする。それから、先生が故郷に戻って就職する時に「こっち来ることあったら連絡してな。案内するわ!」と言ってくれていたことを思い出し、一言付け加えた。

 「金沢、遊びに行ってもいいですか?」

 周りはまだ就活中の子も多かったので、一人旅でもしようと思っていたところだ。ちょうどいいタイミングだった。数週間後には、私は小松空港行きの飛行機に乗り込んでいた。

 かつての憧れの人と大人になってから会うのは、楽しみであり、それ以上に不安だった。年齢や身長の差が実物以上に輝いて見せていた先生の姿に、時の流れによる美化補正がかかっていた。再会はその答え合わせをしにいくようで、やっぱり憧れのまま留めておくべきだったかもしれないと、空の上で私は早くも後悔しかけていた。

 結論から言えば、選択は全く誤りではなかった。

 「よ!」

 繁華街で久々に会った先生は、相変わらず背が高くて、大人だった。あの頃の先生の年齢より、私は3つも歳上になっていたけれど、現実の先生は当たり前だがそれよりさらに5つも歳上だった。

 先生と実際に言葉を交わしても当時の憧れは色褪せることなく、寧ろそこが先生の地元で、私は案内される立場であるという事実が、より一層先生を頼もしく見せていた。

 「むこうに車停めてるから。行こ」

 どこへ行くのかと尋ねる私に「さあどこでしょう?」と返して先生はにやりと笑う。カーステレオから流れるback numberに合わせて、ハンドルにかけた綺麗な指をとんとんと上下させながら、車は速度を上げていく。

 「もうすぐだよ」という声に顔を上げてまもなく、トンネルを抜けると目の前は日本海だった。

 「すごい!」

 海のすぐ真横を走っていた。太平洋に面する県で育った私にとって、日本海は全く別の海で、知らず気持ちが高揚した。助手席から何枚も海の写真を撮った。それから、海の写真を撮るふりをして一枚だけ、インカメで運転席に座る先生を撮った。

 「降りてみよか」

 駐車場に車を停め、2人で水際へ行った。足つけたいなあという私に、汚れるからやめときいとやんわり諭した先生が、綺麗な白い貝殻を拾って渡してくれた。それから、ふたりで写真を撮ったり、寄せる波にはしゃいだりしながら、水平線の向こうに夕日が沈むのを見送った。

 映画のワンシーンのようだった。学生生活と社会人の狭間が見せた、あれはひとときの夢だったのかと疑ってしまうくらいの。

 夜ご飯はおいしいお寿司だった。お互いの近況や、他愛もない話なんかをして、一度お手洗いに席を立った私が戻ると、先生はスマートに会計を済ませていた。

 「2軒目、行こか。まだ飲めるやろ?」

 こんな、彼女みたいな扱い。他の人からされたことがなかったのでかなりびっくりして、それが先生の性格によるものなのか5歳という歳の差によるものなのかはわからなかったけれど、うまく「奢られる側」のリアクションをとることができなかった。まだ全然お酒を飲んでない頬が、じんわり熱くなるのを感じた。

 2軒目は、先生の行きつけというバーだった。細いビルの入り口にある階段を上がる。出会った当時は互いに未成年だった先生とこうしてバーに入るのは、なんだか不思議な気持ちがした。

 「何飲む?」
 「んー、あんまり甘くないやつで...」
 「じゃあジントニックとかにしとく?タンカレーあります?」

 1日で、先生はどこまで歳の差を見せつけるんだろう。全部がスマートで、くらくらした。

 グラスを交わして、互いの過去の恋愛の話をした。数ヶ月前に年下の彼氏と別れた理由を聞かれた時、「うーん...なんか、子どもっぽいなって思っちゃって。だから次彼氏つくるなら、歳上がいいですね!」なんて答えたのは、嘘ではなかったけれどちょっぴりあざとい気持ちもあった。歳上の、5つ上くらいの、エスコートしてくれるお兄さんとお付き合いしたいです。なんて。

 互いに程よくアルコールが回り、口数は次第に少なくなっていた。薄暗い店内には、客は私たちしかいなかった。ふいに先生の指が私の顎に掛かり、くいと持ち上げられる。私は上を向いて、だけど、先生と目を合わせることはしなかった。

 そこまでだった。

 深夜を回り、2人で駅前のホテルまで歩いた。私の右手のすぐ側にある先生の大きな左手を、握りたいと思ったけれど、結局私は握らなかった。幼馴染に告白しない(できない、ではない)人の守っているものが、ほんの少しだけわかったような気がした。

 「じゃあ、おやすみ。また遊びにおいで」

 気づけば私の予約したホテルの前についていて、それが夢の終わりの合図だった。私たちは正しく生徒と先生で、きっとこの先もずっとそれは変わらないのだろうと思った。

 「はい、いろいろとありがとうございました!おやすみなさい」

 部屋に戻り、その日買った加賀梅酒を1人で空けながら、先生にもらった白い貝殻を並べる。せめて今夜が終わるまで、夢の続きを見ていたかった。iPhoneをタップして、back numberのわたがしを流す。「想いがあふれたらどうやって どんなきっかけタイミングで手を繋いだらいいんだろう」なんて、数分前の私のことのようでなんだか笑えた。先生の喉に飲み干されるジントニックに、あの夜の私はなりたかったのかもしれない。

#恋愛 #ワンナイト