できたてガパオライス

ゆすらの日常。毒にも薬にもならないことばたち。

前世夭逝してる説

 人生一回目だと、ずっと思っていた。理解は遅いし手先は不器用だし、周囲がなんてことなくこなせることも自分だけ失敗したりするから。私は人生一回目で、きっとみんなは何回も転生しているベテラン。そう割り切らないとやってられなかった。

 

 ただ、最近思う。私の前世、もしかしてまだないんじゃなくて夭逝してるのかも。

 

 3つ上に姉がいたからか、幼い頃は所謂「マセガキ」というやつだった。幼稚園の園庭でアンパンマンの歌が流れるのを聞きながら、友達に「いつかこの歌を聞いたら今日のことを思い出して懐かしくなるんだろうね」 と話したことをはっきり覚えている。どんな反応をもらったかは覚えていない。

 

 母と一緒に姉の運動会に応援に行った時は、自分より年上のおにいさんおねえさんの徒競走を見て「みんな一生懸命でかわいいねー」と言い放ったらしい(これは記憶にない。母の話す、わが家では定番の笑い話だ)。もはや神の視点だ、生意気にも程がある。

 

 高校卒業の時に人生最大のコンプレックスを抱く出来事があって、そこからもともと低めの自己肯定感が地を這うようになったのだけれど、思い起こしてみればそれまではそこそこ大きな困難もなく生きてきたような気がする。

 

 運動神経は壊滅的だが勉強はそこそこ。音楽も割と得意な方。友達も多い。なんとなくうまくいかないというか、生きることに対する自分の不器用さが露呈し始めたのが18、19の頃なので、もしかしたら私の前世はそのあたりで若くして亡くなったのかもしれない。

 

 前世は何をしていたのだろうと、時々思う。リーダーよりは圧倒的に補佐のタイプの人間なので、将軍に忠誠を誓った武士かなんかかと思っていた頃もあった。だけど会社に入ってみると縦社会への嫌悪感が半端なかったので、たぶんこれは違う。家系的には教師か宮大工の棟梁だけど、手先が不器用なので大工もない。教師は…まあなくはないけど、他人への興味が薄いので違う気もする。

 

 なんて、前世と今世がどこまで似通った人間になるのかなんてわからないけれど。こんなとりとめのないことを日々考えながら生きるのは、割と嫌いじゃない。

 

 とりあえず、(おそらく)1回目となる社会人生活をここまで続けているので、これはたいそう褒められるべきことと思っている。来世の私、期待しててよ。たぶん次はもうちょっと生きやすくなるはずだからさ。