できたてガパオライス

ゆすらの日常。毒にも薬にもならないことばたち。

虚空へ手を伸ばす

2020年12月21日(月) 冬至

 黒板にチョークを走らせる。頭の中で数式を解きながら、手は次の数式を組み立てる。誰もが無言の教室で、彼と私のチョークが黒板に打ちつける音だけが響いている。刹那、彼が声を上げた。

 

 「あ、こういうことか!」

 

 え、待ってよ。私まだ理解できてない。手は止まり、私は必死で最後に書き出した数式とにらめっこする。ああもう。早く。悔しい、悔しい、悔しい!

 そこで目が覚めた。

 高校を卒業してもう何年も経つというのに、未だにこうして勉強している夢を見る自分に苦笑する。どうせなら模試でいい点を取った夢でも見せてくれればいいものを。尤も、それは決して不快な悔しさなどではないのだけれど。

 追いかけるばかりの青春時代だった。

 好きな人がいた。憧れていた。彼の隣に並びたくて、釣り合う人間になりたくて、必死で勉強して食らいついていた。

 と、当時は思っていたが、今にしてみればあれはもはや嫉妬にも近い感情だったようにも思う。彼を慕っていたのか、彼の能力を羨んでいたのか。あるいはその両方であったのかもしれない。

 たとえば、高校生活の終わりにバレーボールを引退した人間がこの先思い出すことが多いのは、点を決めたシーンとブロックを抜かれたシーン、どちらなのだろう。

 いつまでも彼に追いつけない自分ばかりを思い出してしまうのは、私の性格故だろうか。それとも本当に追いつけていないから?

 いずれにせよ、彼の背中を追いかけ、追いつけなかった悔しさこそが私の青春だった。

 早く。早く。もっと頑張って追いつかないと。悔しさと焦燥感は激情となり、私の身体に一瞬にして熱を帯びさせる。動悸が速くなる。次第に視界が滲んでくる。何度も目をしばたたかせながら、テキストを睨みつけ、その先にある彼の背中を睨みつけた。

 常に追うべきものがあったあの頃、私はとても苦しくて、おそらくとても幸福だった。

 初恋と呼ぶにはあまりに激しいあの頃の人生を、こうして時折夢に見ては、今はもう追っていない背中を描いた虚空に向けて、手を伸ばしてみたりしている。