できたてガパオライス

ゆすらの日常。毒にも薬にもならないことばたち。

ただの人になっていく

 十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば只の人。

 多くの人には、人生で「ただの人」になるときというものが訪れる。きっとどんな人にもいつかは訪れるであろうそれは、しかし気づくと既に過ぎた後であることも多い。私自身、かつて最強で無敵だった(と信じていた)時期はとうに過ぎ、今ではキラキラした何かを失ったままただの人として日々を生きている。

 神に近しい存在がただの人になる瞬間が顕著に見られるのは、芸能人が結婚するときや引退するときに多いように思う。不特定多数に向けられていたファンサービスは特定のただ1人に向けた愛へと変わり、いつどんな時だって輝いていた美しさは、カメラのない日常に次第に溶けて薄れていく。それはまさに「ただの人」になっていく過程であると言えるだろう。あるいはただの人になりたくて、芸能人を辞める選択をするのかもしれない。かつて絶大な人気を博したアイドルが「普通の女の子に戻りたい」ということばを残してマイクを置いたように。完璧なアイドルを卒業した女性が、徐々に人の心を取り戻そうともがいたように。

 それはキラキラしていた彼/彼女等を愛していた人にとってみれば寂しいことでもあるだろう。神に近しい存在への思いは信仰にも近く、信仰の対象を失うことは生きる意味の喪失にも繋がりかねない。だから本来100%の祝福を受けるべき(と私は思っている)結婚の報告も、芸能人の場合は誰かを傷つける報せになり得てしまう。悲しいことに。

 それでも私は、ただの人になっていく彼/彼女等の幸せを願いたいし、そんな過程を愛しく思う。

 

 大好きなアーティストが、結婚を発表した。

 彼は某ロックバンドのボーカルで、これまで何曲もの作詞作曲を手掛けてきた。そのことば選びはどこまでも嘘がなく、だからこそやさしくて、美しい。そんな、まるで物語を綴るように歌詞を紡いできた彼が昨年リリースした曲に、こんな歌詞がある。

ベイビーアイラブユーだぜ ベイビーアイラブユーだ

 それはこれまでの曲の歌詞と比べると、至ってシンプルで、真っ直ぐに伝わるメッセージだった。

腕の中へおいで 抱えた孤独のその輪郭を撫でてやるよ
地球で一番幸せだと思ったあの日の僕に 君を見せたい
勝てない神様 負けない 祈らない
限りある君の その最期に触れて 全てに勝つよ

 

 これまでの曲の歌詞で彼は巧みにことばを紡ぎ、さまざまなかたちで愛を表現してきた。

 だからこそ、彼がその武器である針と糸を置いて、ただ愛を叫ぶためのことばを率直に並べたこの意味を考える度、泣きそうなほどの愛しさに襲われるのだ。

ベイビーアイラブユーだぜ ベイビーアイラブユーだ

 きっと心から愛しい人を前に愛を伝えるとき、本当に出てくるのはこうしたシンプルなことば達なのだと思う。取り繕うこともできないし、そんな必要もない。その代わりに、ただ繰り返す。思いの強さを伝えるために。

 偉大な作詞家・作曲家・ボーカリストである彼を「ただの人」たらしめる女性は、どれだけ魅力的な方なのだろうと思う。嘘のない歌詞を紡ぐ彼に「かえがえのない大切な人」と言わしめるくらいだ、きっと66号線という曲の歌詞に出てくる彼の問いにも迷わずYESと答えるのだろう。

声を無くしたら僕じゃなくなる それでも好きだと言ってくれますか

 それはいつかくるかもしれない、彼が「ただの人」になってしまった後の話なのだろう。人になることを誰よりも恐れているのは、もしかしたら彼自身なのかもしれない。

 だけど今だからこそ声を大にして言いたい。彼がただの人になったとして、その過程を私は一ファンとして愛おしく思うし、結婚した女性とただの人として幸せになってほしいと心から思っている。

 もちろん、彼は今後解散や引退をするわけではないので、これからも神に近しいところで素敵な曲をつくり続けるのだろう。家庭ではただの人たる顔を持ちながら。

 そんな、神と人とのふたつの顔を持つことになった彼ー藤原基央さんを、そして彼の所属するバンド、BUMP OF CHICKENを、私はこれからもファンとして愛し続ける。

 ベイビーアイラブユーだぜ ベイビーアイラブユーだ