できたてガパオライス

ゆすらの日常。毒にも薬にもならないことばたち。

"やさしさ"を教えてくれたバンド

 気づいたらもうずっとブログを更新していなくて、大きな出来事があった時にしか書けていなかった。日々いろんなことを確かに考えて生きているはずなのにね。自分に強要して書くものじゃないと思ってそのままにしていたけれど、PCで記事作成画面を開いてみたらなんとなく書けそうな気がしたので、たまにこうして意図的に機会を設けるのも良いかもしれない。

 今日は関ジャムのBUMP OF CHICKEN特集を観た。現在活躍中の多くのアーティストが口を揃えて「尊敬している」と話していて、彼ら一人一人のBUMP愛が大きくて、あらためてBUMP OF CHICKENというバンドの偉大さを実感した(余談だが私の周囲のBUMPファンは自分も含め往々にしてBUMPや藤くんに対してどでか感情を抱きがちで、私はその特性をとても愛おしく思っている)。

 BUMPへの思いは度々ブログにしてきたけれど、自分の中で大事にしているエピソードがあって、それを何度も思い返しているので、すぐに触れられるようにここに記しておくことにした。

 小中学生の頃、SCHOOL OF LOCKというFMのラジオ番組をよく聴いていて、それにBUMPも出ていた。2007年にorbital periodというアルバムがリリースされた時、そこに収録されている曲の背景を藤くんが語った。詳しくは番組のブログが残っているので、ぜひ読んでほしい。

www.tfm.co.jp

 やさしさの定義について話していた回。「やさしさ」というのは偶然生まれる「現象」だという。そこに意図的なものが、たとえば自分をよく見せたいという下心なんかが含まれれば、それは「偽善」で、つまるところエゴなのだと。

 これを聴いていた頃の私は中1で、本当に驚いたのを覚えている。嘘に聞こえるかもしれないけれど、やさしさについては私も同じことを考えていたから。当時の自分は、他人のやさしさよりも自分のやさしさが信じられなかった。やさしいねと言われることもあったし、自分でもそうあろうとしてきたつもりだった。でもそれは、そうあれば褒めてもらえるとか、好いてもらえるとか、そうした自己保身からくるもので、それが自分をやさしいと称してくれている人達への裏切りのような気がしていた。

 だが彼はこう続けたのだ。『エゴなんて素晴らしいじゃん!超カッケーじゃん!』と。小難しいことを考えがちとよく言われていた自分と同じ考えを持っている人がいたということが既に驚きだったけれど、よくよく聴いてみれば「同じ考え」ではなかった。同じ思考を経て、さらにその先で私の葛藤も自己嫌悪も、すべてを肯定してみせたのだ。藤原基央さんという人は。

 それは私にとって、紛れもなく救いだった。たかだか13歳で、すこしばかり勉強ができるからといって物事をわかった気になっていた私に、自分の先でもっと広い世界があることを教えてくれる大人がいるのだと知った瞬間だった。

 それから私は、自分のやさしさを疑いそうになるたびに何度も、BUMPの歌に救われている。

皆 良く思われたいだけ 自分自身を売り込むだけ

優しくなんかない そうなりたい 僕が一番ひどい

ねぇ 優しさってなんだと思う もう考えなくたっていいや

本当さ 僕ら知らないうちに 僕らで作ったよ

二人で出会ったよ

優しさの真似事のエゴでも

出会えたら 無くさないように

優しさの真似事は優しさ

出会えたら 迷わないように

出会っている 無くさないように

 エゴなんて超カッケーじゃん!って。やさしさの真似事だって間違いなくやさしさだよって、言い切ってくれるのがうれしくて、心強い。歌詞を何度も自分に言い聞かせては、真似事だったり本物だったりするやさしさを抱きしめて私は今日まで生きている。

 だから虚勢でも自己保身でも、私は私の大好きな人たちにこれからもやさしくありたいし、大好きな人たちのやさしさはやさしさだって信じる。その方が自分を取り巻く世界はちょっとやわらかいものになる気がするから。

 自分の生き方の根源にもなっているBUMP OF CHICKENへの愛はもはや崇拝にも近くて、冷静な人が見たらちょっと気持ち悪いかもしれない。だけど子どもの頃に大好きだった絵本のように、ずっと身に付けているお守りのように、こうした思いをこっそり抱えていてもいいよね。誰かを傷つけるわけでもないし。

 このブログを書き終えたら、この気持ちはまた大切にくるんで、自分のこころの核になる場所にそっとしまっておこうと思う。

==おまけのひとりごと==

 これを書いていて気付いたけれど、先述のブログを書いた時藤くんは28歳だ。そして今の私が28歳。あまりの偶然にまた驚いてしまった。かつて13歳の私が藤くんのことばに救われたように、これから先私が紡ぐことばが誰かを救ったり、勇気づけたりすることがあるかもしれない。そうなったらうれしいなと思いながら、これからも創作活動を続けていく所存です。