できたてガパオライス

ゆすらの日常。毒にも薬にもならないことばたち。

信頼はもうとっくにそこにあって

 6年弱勤めた会社を辞めるまで、あと5営業日。正確には年末退社だけれど、最後のひと月は全部有休にした。それでも使いきれなかったぶんは何十日と残っていて、次の会社では休みもうまくとれたらいいなとぼんやり思う。

 新人時代に育成してくれた先輩が周囲に声をかけて送別会をひらいてくれた。ご時世柄、今の自分のチームでは送別会を行わないので、私にとって唯一の、それでいて特にお世話になった方々が集まってくれたとてもありがたい時間だった。

 女性も若手もいない職場で互いに距離を測りかねていたこともあり、私が彼らを好きだと言えるようになるにはだいぶ時間がかかってしまった。新人の頃は「この職場の好きなところはトイレの綺麗さだけ」なんて言ったりもしていたが、ほんとうはちゃんとみんな私を気にかけてくれていて、全員で私を育て上げてくれた。チームや職場が変わっても尚、こうして集まってくれることが何よりの証拠だと思う。

 会社を辞めることになって、まず頭にあったのは申し訳なさだった。ここまで育ててもらった恩があるし、ちょうど役職も上がってこれからの活躍を期待されているところだった。おまけに職場は万年人手不足。先輩方を裏切るようなかたちになってしまった謝罪と、どうしても次の会社でやりたいことがあるという意思を、絶対に伝えなければと思っていた。

 緊張しながら退職する旨を伝え、これから謝罪と弁明を、と思ったところで、先輩にこう言われた。

「いいじゃん。自分でしっかり考えて決めてくれたことだろうし、応援するよ」

 それは間違いではない。たしかに自分でしっかり考えて出した決断だし、そのことをこれから弁明しようとしていたのだ。だけどそれを先に相手から言われるとは思っていなかった。続いて謝罪を告げ、頭を下げたところで「その必要はない」とも言われた。ここまでストレートな信頼をぶつけられたことに、正直驚いてしまった。

 積極的に人間関係を構築しようとしてこなかった自覚がある。新人時代でも気が乗らなければ飲み会を断っていたし、プライベートのことはほとんど話さないし、上司との面談で「何か悩みある?」と聞かれても「ありません」としか答えなかった。たとえ大きな悩みがあったとしても。やるべき仕事をきちんとこなせば問題ないという考えで、胸のうちを晒すことをしてこなかった。だから会社を辞めると伝えるのは、おそらく私が先輩に告げた、最初で最後の自分の意思だった。そこでようやく「信じてほしい」という思いが生まれ、あの反応をもらい、自分がもうとっくに信じてもらえていたことを知った。いつもいつも、人の厚意や好意に気づくのが遅い。

 他の先輩方も(本心のあれやこれやはあるだろうが)みな同じような反応で、誰も彼も背中を押してくれた。おかげで絶対に果たしたかった円満退社を無事迎えられそうで、安堵している。

 一本締めで激励をもらい、JR某駅の改札前でひとりひとりに頭を下げた。「頑張るんだよ」「でも身体は壊さないようにね」「帰ってきたくなったら会社にポジション空けてやるよ」と口々にやさしく送り出され、感動で泣きそうになってしまった。それでももちろん涙は出てこない、職場では絶対に泣くなって言われて育ってきたから。

 いつか歳を重ねて二十代を振り返ればそこには、葛藤しながらもがいてもがいて前に進み続けた私がいるだろう。そんな日々でもちゃんと、しっかりひと区切りつけられたことは、心配性な私にとって間違いなく大きな自信になる。自分の記憶や仕事ぶり、人の厚意に自信がなくなった時、またこれを読んでそのことを思い出せたらいい。